宮田華子
ロンドン在住ライター。メディア製作会社に勤務後、2011年からフリーランスのライターに。デザイン、アート、建築、クラフト等を得意とし、文化&社会問題について日本の媒体に執筆。編集ユニット「matka」として、ウェブマガジンも運営している。2015年にロンドンで小さなフラット(マンション)を購入。日本とは異なる一筋縄でいかない「イギリス・家事情」に翻弄される日々を送っている。
ウェブ:http://matka-cr.com/
インスタグラム:https://www.instagram.com/hanako_london_matka/
日に日に気温が下がり、すっかり秋の装いのロンドン。自宅の近くに生えている栗の木から、実が落ち始めました。リスやキツネたちがおこぼれを拾いにきているのを時々見かけます。
我が家からそう遠くない場所にあるリッチモンド・パーク。早朝は靄が掛かっていて何とも風情があります。
秋晴れのある日、ロンドン中心部から電車で約1時間の場所にあるケンブリッジに行ってきました。
言わずと知れた大学街ですが、私の今回の目的は街の観光ではありません。一直線に向かったのは、駅からタクシーで15分ほどの場所にあるモダン&コンテンポラリー・ギャラリー「ケトルズ・ヤード(Kettle’s Yard)」です。
「ケトルズ・ヤード」は、1958~73年に元テイト・ギャラリーのキュレーターであり美術収集家のジム・エディと妻のヘレンが暮らしていた住居が元になっています。4つのコテージ(田舎家)をつなげて1軒にし、1970年にはモダニストスタイルの建築家レスリー・マーティンの設計でさらに増築された広い家です。居住当時からジムの審美眼が選んだアートとインテリアを学生たちに開放して見せていました。
1950年代、改築中のケトルズ・ヤード。
ジム・エディ(1895 – 1990年)。手前に置かれたアンリ・ゴーディエ=ブルゼスカの作品『Bird』は現在も「ハウス」に飾られています。
1966年にエドはこの家と収集したアート作品をケンブリッジ大学に寄贈(1973年まで居住は継続)。その後もそのままの形で一般公開されてきましたが、2015年に増築のために一時休館しました。昨年9月に再オープンし、「ハウス」(元エディ夫妻の住居部分)に加え、企画展を開催する新ギャラリースペースを有しています。
通りに面しているのは、増築されたギャラリー部分。
インテリア好きには「ハウス」の素晴らしさは知られているので、私も「いつか行きたい」と思っていました。しかし今回ここに来たのは、イギリスを代表する陶芸家ジェニファー・リーさんの個展を見るためでした。
ジェニファーさんには2度取材した経験があります。1度目は昨年5月、彼女が大賞を受賞した「ロエベ・クラフト・プライズ2018」授賞式のときでした。
左からロエベのクリエイティブ・ディレクター・JWアンダーソン、ジェニファーさん、女優のヘレン・ミレン。授賞式ではヘレンがプレゼンターを務めました。
授賞式前の内覧のときに、「私は何度も日本に行っています。日本は私にとってとても大切な国なんです」とジェニファーさんの方から声をかけてくれたのです。手渡してくれた名刺には、カタカナで「ジェニファー・リー」と書いてありました。
ロエベ・クラフト・プライズ2018大賞受賞作品『淡さ、影のある斑点、変形した楕円形、青銅の斑点、傾いた棚』2017年(せっ器粘土、粘土に混ぜた自然酸化物)。この授賞式のことは、Pen Onlineに書かせていただきました。
彼女はイギリス陶芸界の重鎮的存在。彼女の素晴らしい作品を敬愛していたので、その本人に声を掛けられたことに驚き、とても嬉しかったことを覚えています。受賞後の取材で話せたものの、「もっとこの素晴らしい作品の生まれる源が知りたい」と思い、思い切って取材を申し込みました。
8月に彼女のスタジオに伺い、長い時間をいただいてインタビューをしました。記事はコチラから。彼女の制作手法などについても詳しく書いています。
スタジオで本当に様々なものを見せてくださり、丁寧に話してくれたジェニファーさん。その時「来年ケトルズ・ヤードでのソロショー(Solo Show:1人の作品のみを展示する個展)があるので、ぜひ来てね」と言われました。
1年は本当にあっという間に立ちました。これまで彼女の作品を「ソロショー」と言う形では見たことがなかったので、今回本当に楽しみにしていたのです。
7月から開催されていた本個展。残念ながら9月22日で終了しました。
ジェニファーさんの作品を見るたびに、「彼女の作品のもつ独特静けさ、温かさは特別」と感じます。展示スペースに入った人はまるで空間全体で彼女の作品を体感するかのように、しばしそこで立ちすくむのです。そして皆、長い時間その場から離れないのが印象的でした。
ジェニファーさんは、10月~11月、焼き物の町として知られる栃木県益子町にレジデンスとして滞在します。作品の展示および交流の機会もあるので、この記事の下の情報をご確認ください。
淡く浮き上がる美しい斑点は、金属酸化物で色付けした粘土「カラークレイ」を使用することで生まれます。
別部屋にはジェニファーさんの作品スケッチや制作過程を撮影した映像もありました。すべてをしっかり見終え、大きく深呼吸できたような、心は鎮まるような、そんな幸せな気持ちになりました。大好きなアートを見るときに感じる平安な気持ちは、何度体験してもたまらない気持ちです。
そんな思いを胸に、しばしギャラリー内カフェで一休み。
増築されたギャラリーは、建築家ジェイミー・フォバートが手掛けました。白と薄茶色のレンガを基調にした空間に、シンプルな家具が置かれています。私が大好きな佇まいです。入口前の通路のような場所でも、なんだかとても落ち着きます。
まさに私が探してる理想のハンガーラックがここに! 床から棚部分までにしっかりとスペースがあると、収納量がぐんと増えるからです。
少し休むと、予約しておいた「ハウス」への入場時間になりました。「ハウス」は時間刻みで一定数が入場できる予約制になっています(予約は無料)。ジェニファーさんのアドバイスであらかじめオンライン予約しておいてよかったです。ギャラリー内も混んでいましたが、「ハウス」の入場スロットも見ているうちにどんどん埋まっていきました。いらっしゃる機会がある方はぜひ先行予約をお勧めします。
「ハウス」はミッドセンチュリー(1950年代周辺)の家具と、ジム・エディが集めた美術品が、彼の流儀で並べられている、ため息が出るような空間でした。
ミロの絵画やヘンリー・ムーアの彫像と言った美術品と(どこかで拾い集めただろう)石が同じ空間で並べられています。彼の美意識が凝縮した空間です。
家じゅうの様々なところに石がオブジェのように置かれています。並べ方、色合いにも統一性があり、ジムの作品の1つです。
「ハウス」のことを細かく書くと、もう10回ぐらい連載できてしまいそうなぐらい!です。4軒を組み合わせ、さらに増築したこの家の間取りや置かれている代表的なアートについてはコチラのサイトで詳しく説明しています(「Enter Tour」から入ってください)。
増築された広いホールの一角
吹き抜けの2階部分から見たホール
屋根裏部屋。柱に飾られた絵と右横の彫刻は、画家であり彫刻家のアンリ・ゴーディエ=ブルゼスカ(1891-1915年)の作品。
家の中に数カ所、緑のスペースが。自宅に庭もベランダもない私には「こんなコーナーがあったら」と思いましたが、我が家にはこんなコーナーを設ける広さがありません。(涙)
住居なので細かく区切られているため、全景を撮影できないのが残念です。写真では素晴らしさがなかなか伝わらないかもしれません。なので私が特に印象に残った点を2つだけ書いてみます。
「ハウス」には本当にたくさんの椅子があります。そのほとんどがシンプルで機能的、そして美しい線が魅力のミッドセンチュリー(1950年代)を中心としたスタイルのものです。
持ち帰りたい椅子ばかり…。
ダイニング用の椅子から長椅子までいろいろありましたが、特に多かったのは肘掛けがついたタイプのウィンザー・アームチェア。私もずっと憧れていて、アンティーク・マーケットに行くたびに「ほしいなあ」と思っていました。
しかし私のミニマリスト志向が邪魔をして、どうしても買えないでいたのです。我が家にはめったに来客はないものの、それでも2人以上の来客があると簡易椅子を出しているので「あと1~2脚、ちゃんとした椅子があってもいいなあ」とは思っていました。
今回「ハウス」で散々見て、触って、座ってみて「ああ、もうこれは運命だ。次にお手頃値段のウィンザー・チェアーを見つけたら、躊躇しないで買おう」と心に硬く誓ったのでした。
天気に恵まれた日だったこともありますが、光と影が作り出す美しさ改めて気づきました。経年による渋みのある床板とのコントラストも絶妙で、何度も足を止めてじっと床を見つめてしまったほどです。
美しい曲線の窓枠。
窓に白いペンキで模様がつけられています。「影」ではないのですが、模様と光と、窓枠と壁、向こう側の風景が1つになって、部屋のアクセントになっていて興味深かったです。
光と影もインテリアの1つなんだと、味わい深く実感しました。
他にも書ききれない興奮ポイントがたくさんありました。「インテリア好き」を自負する方、イギリス旅行に来る機会がある場合はケトルズ・ヤードにぜひ足を運んでみてください。ギャラリーも「ハウス」もすべて入場無料です。
あまりに好きなものをたくさん見たので胸がいっぱい!だったところに、最後に超ド級のプレゼントがありました。
この日、ジェニファーさんはギャラリーでレセプション(パーティー)があるのでロンドンからやってくることは知っていました。私のこともお誘いくださったのですが、パーティーは夜だったので残念ながら失礼し、その前の時間にジェニファーさんにご挨拶したいな、と思っていました。
ちょうど「ハウス」見学が終わったところでジェニファーさんが到着。1年ぶりの再会を果たし、そしてずっとほしかった彼女の作品カタログ(実は今回、ギャラリー内ショップで購入予定でした)をプレゼントしてくださったのです!
ジェニファーさんのご主人、Jake Tilsonさんがデザインした美しいカタログ。サインもいただきました(涙)。現在我が家のリビングルームに飾り、来客があると見せびらかしております。
立ち話に花が咲き、泣きそうになりながらジェニファーさんにさよならしました。閉館時間を気にしながら駆け込みで彼女の作品が展示されている市内もう1つの場所、フィッツウィリアム・ミュージアム(Fitzwilliam Museum)を見学。
まるでパルテノン神殿が現れたのかと思う、荘厳な建物。駆け足で行くには残念すぎる内容のミュージアムでした。必ず再訪します。
エントランスの天井。ため息が出るほど美しい装飾。
チェルシー・バンとはシナモン風味のドライフルーツが入った甘いパンのことです。
このお店のチェルシー・バンは上に甘い蜜がかなりたっぷりかかっています。噛みごたえのある生地にドライフルーツがどっさり練りこまれたバンを口に入れると、お~これはすごい! 今まで食べたどのチェルシー・バンよりも濃厚な味わい。どっしり重いのに、コーヒーと交互に口に入れるといくらでも入ってしまう、恐ろしい美味しさです。
ジェニファーさんが何度も「食べてね」と言っていた意味が良く分かりました。在英10数年、1番美味しいチェルシー・バンでした。
この時期、大学はまだ新学期が始まっていないので街自体はまったく混んでいませんでした。しかしケトルズ・ヤードに入るなり、混雑していて驚きました。
このギャラリーは駅から歩くには遠いので、ケンブリッジ在住者以外には決して来やすい場所ではありません。でもアートを求めてここまでたくさんの人がくるのです。英語に「隠れた宝石(Hidden Gem)」と言う表現がありますが、私にとってケトルズ・ヤードはそんな場所でした。また絶対行かなくては。(一緒に行ってくれた、私の大切な「インテリアの友」Kさん、ありがとうございました!)
イギリスには「芸術の秋」と言う言葉はないのですが、この秋1番嬉しかった美しき物との時間でした。
●ジェニファー・リーさんについて
Web:http://www.jenniferlee.co.uk
アーティスト・イン・レジデンスとして栃木県益子町に滞在:2019年10月6日(日)-11月17日(日)
「土と抽象」展 in 益子陶芸美術館:全9人の現代陶芸作家の作品に焦点を当てた展覧会。ジェニファーさんの作品も展示されています。
詳細:http://mashiko-museum.jp
●Kettle’s Yard
住所:Castle St, Cambridge CB3 0AQ
Web:https://www.kettlesyard.co.uk
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